『図書新聞』No.3254 文化コラム「カルチャー・オン・ザ・ウェッジ」掲載:評者◆伊達政保

『図書新聞』No.3254 文化コラム「カルチャー・オン・ザ・ウェッジ」掲載:評者◆伊達政保
2016年5月7日 jks47

敗者の視点に立ち、死者の裁きを懇請し祈念する「呪殺」――呪殺祈祷僧団四十七士(JKS47)による「3・11鎮魂」法要

 

■3.11東日本大震災と福島第一原発事故から丁度5年、TVなどでは追悼と復興の特集が組まれたが、いまだ収束していない原発事故に対して原因究明や今後の対策に、より踏み込むものはなかった。NHKのドキュメンタリー・ドラマでは、事故直後の現場と官邸と東電の海水注入を巡るドタバタや、3号機の爆発で負傷した自衛隊員の復旧作業には全く触れず、無かったことになっていた。こうした歴史の偽造が行なわれる一方で、いまだ仮設住宅暮らしを強いられる被災者は7万人を超え、TVでの発言や表情から諦めや怨嗟の感情が蔓延しつつあることに気づかされた。

今年の3月11日は5年前と同じ金曜日、日比谷公園で二日間にわたり行なわれる5回目となったピース・オン・アースに立ち寄り、経産省前テントひろばに向かった。呪殺祈祷僧団四十七士(JKS47)による「3.11鎮魂」法要に参加するためだ。「呪殺」とは穏やかではないが、かつて公害問題が深刻化した1970年、その問題に立ち向かった「公害企業主呪殺祈祷僧団」という仏教者を中心とする集団があったのだ。昨年8月、その経産省前で日蓮宗各派の僧侶(劇作家上杉清文、歌人福島泰樹など)を中心に、戦争法案廃案!安倍政権退陣!原発再稼働阻止!悪しき者らに死者の裁きを!と、再結成・呪殺祈祷会が行なわれた。「呪殺」とは、敗者の視点に立ち、ひたすら死者の裁きを懇請し祈念することであり、「死者が裁く」とは死者との共存・共生・共闘であるという。オイラも錦糸町河内音頭の現場から駆け付けた。死者に対する視点には河内音頭と共通のものがあるように思えた。

震災による死者は関連死を含め優に2万人を超え、今も増え続けている。「私たちは夥しい無念の死者を深く深く悼むとともに、地震と津波と原発事故によって明らかにされた無謀な原子力行政を反省もなく繰り返そうとしている政財界の愚かさを、死者と共に正さなければなりません」との趣旨の下、左右の黒幕には白文字で「呪殺」「死者が裁く」と大書し、正面に南無妙法蓮華経の本尊を掲示して導師独唱から法要が始まった。参加者による法華経(あの「不惜身命」が入っている巻)の声明(個人的には前回の観音様のゲバルト力を示す「念彼観音力刀尋段段壊」の観音経の方が好きなのだが)、祈祷、唱題、祈願回向、お題目三唱を経て法要は終了した。震災直後、死者はメディアからその姿を抹消され、そして社会的に封印された。死者を封印せず死者と共に闘う事が求められている。

その後、首相官邸前では4年目を迎える金曜官邸前抗議が首都圏反原発連合により大規模に行なわれた。