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仏滅後二千二百余年が間、一閻浮提未曾有の大曼陀羅。南無久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊、證明法華の多宝如来、十方分身三世諸仏、南無本化上行無辺行浄行安立行等の本化地湧の諸大菩薩、梵天帝釈日天月天四大天王、天照大神八幡大菩薩日本国内大小の神祇、一乗擁護の諸天善神等、殊には南無末法有縁の大導師主師親三徳高祖日蓮大菩薩摩訶薩宗門如法弘通の先師先哲に申して曰く。

抑われら「呪殺祈祷僧団」とは、一九七〇年九月七日、丸山照雄、梅原正紀、松下隆洪師ら僧俗八人によって結成されし「公害企業主呪殺祈祷僧団」の命題を引き継ぐものなり。「呪殺」とは、国家・企業によって殺されし死者の裁きを代行し、死者の声を祈祷により代弁するものなり。

一九六九年四月末、医療過誤と人命蔑視により妻を喪った歴史学者上原専録は、妻への回向を通し妻の常在を実感するに至った。「死者との共闘」の端緒である。そして、死者と共に生きるという実感は、「日本の社会生活の実際」の酷薄な現実を引き出し、さらに死者を拒絶する生者だけの社会を否定し、妻の死以前は観念的問題でしかなかったはずの「虐殺の犠牲者たち」がいきいきと立ち現れて来るに至るのである。

「アウシュビッツで、アルジェリアで、ソンミで虐殺された人たち、その前に日本人が東京で虐殺した朝鮮人、南京で虐殺した中国人、またアメリカ人が東京大空襲で、広島・長崎の原爆で虐殺した日本人、それらはことごとく審判者の席についているではないか。そのような死者たちとの、幾層にもいりくんだ構造における共闘なしには、執拗で頑強なこの 世の政治悪・社会悪の超克は多分不可能であるだろう。」

この一文「死者が裁く」が「朝日新聞」に書かれたのは、告別式を修してから十一ヶ月後の一九七〇年三月になってからであった。そしてこう宣揚し、「死者にたいする真実の回向」を説く。それは、生者である私たちが「死者のメディア」になって、この世界で「審判の実」をあげてゆくことにしかない。

老歴史学者の夫人への切々たる「回向」行は、アウシュビッツ、アルジェリア、ソンミ村、関東大震、南京事件、東京大空襲、広島長崎における虐殺者を被告人席に立たせ、虐殺された数百万の審判者(死者)たちと共闘によって頑強な政治・社会悪と対峙してゆく姿勢を明確にしてゆくのである。

かくして、愛するものの不慮の死から発した「死者との共闘」は、世界史的規模をもって、死者を内包しつつ 、過去現在未来の存在の時空を駆けめぐるのである。

 

一九〇六、明治三十九年九月、能登高浜の貧しい漁村に生まれ苦学。関東大震災、治安維持法の時代を生き、生涯を戦い抜いた歌人坪野哲久は、こう言った。

「残忍で強欲で、流血を嗜むこと猛獣よりも甚だしい。われわれの世界は、このような人間どもの集団であり、社会であり、歴史でもあるのだ。更に支配する者と支配される者。強大国と弱小国。人間による人間の搾取と収奪と大量殺戮。そして、ぬけぬけとたけだけしく、正義とか平和とかの美名をかかげている」。

老パルチザン坪野哲久は、一九八八年十一月、昭和尽。自らの死を前にこう歌った。

 

民衆を困しめる奴とめどなく極悪ならば

眉間を撃つぞ

 

一九六〇年六月十五日、国会構内で扼殺された東大生樺美智子の声が聴こえる。

 

でも私は

いつまでも笑わないだろう

いつまでも笑えないだろう

それでいいのだ

ただ許されるものなら

最後に

人知れず ほほえみたいものだ

 

言葉は生きている。言葉には魂が宿っている。二十二歳の樺美智子は死んではいない、新生日本を見つめ、この悪しき地上にあって戦うことをいまもやめない。われわれ呪殺祈祷僧団に集う僧俗は、高らかに死者と連帯し、死者と共闘する。
昨二〇一五年九月、憤死するまでを戦い続けた老写真家の必死の声に耳を傾けよう。

「この国はすでに三権分立さえも危うくなったように思う。戦後五十年間、自民党政権は改正手続きも民意もとらないまま、憲法を拡大解釈し自衛隊を保有し」「自衛隊の海外派兵までも合憲とさせた」。「侵略戦争の果てに国際連盟と戦い、三二〇万の国民が殺され、全国の都市がほとんど焦土になり、一〇〇万人の子どもが親と家を失つて戦争孤児となり、すべての国民が飢餓に晒された悲惨な戦争を性懲りもなく繰り返すつもりか。」

写真家福島菊次郎、一九二一、大正十年三月、山口に生まれ、国家が見捨てた戦災孤児や被爆者の悲しみを撮り続け、上京後は三里塚闘争、ベトナム反戦、全共闘、自衛隊と兵器産業、公害、福祉、環境問題など執拗に歴史と国家の悪を撮り続けた。

「太平洋戦争における非戦闘員の死者は約一二〇万人で、焼失家屋は二二八万戸といわれるが、そのほとんどは敗戦の昭和二〇年にサイパンを発進した焼夷弾攻撃によるもので、一千万人近くが住居を奪われ戦後の荒廃の中に投げ込まれた」。

あろうことか日本国は、東京大空襲、全国都市への空襲、広島・長崎への原爆投下の大量虐殺を命令実行したカーチス・ルメイ米空軍大将に勲一等旭日大綬章を授与した。東京オリンピックが開催された一九六四年、受賞を決定したのは時の内閣総理大臣佐藤栄作、A級戦犯で六〇年安保を強行採決した岸信介首相の弟である。

その岸信介は、安倍首相の祖父であり、佐藤栄作は安倍晋三の大叔父にあたる。

 

九十三歳を迎えて、写真家福島菊次郎は言った。

「人の生命には限界がありますが、悪しき権力者は孫の代に続いてさらに次の代まで続こうとします」。

けだし至言である。悪しき権力者の、子々孫々への悪しき野望をいますぐに打ち砕かなければならない。

戦後七十年目にあたる昨二〇一五年八月、福島原発事故は顧みられることなく、日本で最も危険な原発、川内原発は稼働を開始した。さらには沖縄県民の総意は無視され、辺野古への米軍基地移設工事の魔手は着工に及ぼうとし、なかんずく「戦争法案」は「平和安全法案」という名に偽装それ昨年九月、成立におよび、本年三月二十九日、ついに施行されるに至ってしまった。結果、駆けつけ警護をふくむ集団的自衛権の行使のみならず、自衛隊による他国軍の後方支援も可能となったのである。

 

憲法を踏み躙ってはならない。再び戦争を起こしてはならない。若き自衛隊員を、大義なき戦場に赴かせ、戦死させてはならない。人を殺させてはならない。

億万の死者たちは、日本人を戦争に巻き込み、国土を死の灰で汚染する者たちを恕しはしないであろう。

 

わたなかを漂流しゆくたましいの悲しみ

ふかく哭きわたるべし

 

「呪殺」とは、「呪い殺す」の意ではない。虐殺された死者が発する、切羽詰まった叫び声であり、怨嗟をこめた「最後の言葉」に他ならない。彼らの痛苦を代弁する言葉、それが「呪殺」である。

呪殺祈祷僧団に結集したわれら僧俗は、本日只今、原発反対、憲法遵守を願う人々が集う、此処経産省前テント広場において、死者の願い死者の痛苦を代弁し、此処に「鎮魂 死者が裁く」の法会を奉修する。

経に曰く「衆生刧盡きて 大火に焼くかるると見る時も 我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり」。「立正安国論」に示して曰く「汝早信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ。然れば則三界は皆仏国也。仏国其衰んや。十方は悉く宝土也。宝土何ぞ壊れん哉。国に衰微無く土に破壊無んば身は是安全にして心は是禅定ならん。此詞此言信ず可く崇む可し。」

至心に供養し奉る戦災戦没・震災原発・公害・刑死殉難横死の諸精霊追善供養証大菩提。「毎に自ら是の念を作す 何を以つてか衆生をして 無上道に入り 速やかに仏身を成就することを得せしめんと」

重ねて祈願し奉る「天諸童子 以為給使 刀杖不加 毒不能害」「諸余怨敵 皆悉摧滅」「受持法華名者福不可量」

慎み敬ってこれを申す。南無妙法蓮華経

 

二〇一六年四月十八日

呪殺祈祷僧団四十七士